これまでの歩み
幼少期に遡る
わたしは土であそぶの好きだった
土に触れると安心した
地球に繋がって一体となっている気がしたからだ
いや、嘘を言ってしまった
本当はそんな大きなスケールの想像力は持っていなかったと思う
ただ、直観的に土が安心感をもたらしてくれることは分かっていた
スピリチュアルを知ってからその感覚を説明すると
”地球との一体感”と訳されるのだろう
地球と比べるとこんなにちっぽけな体なのに
俯瞰した地球や宇宙のことを想像できるのは人間くらいなのではないか
この想像力を使わずして何を使うというのか
”イメージする力”
これほど強力なものはない
以前、わたしが尊敬してやまない投資家Kさんに聞いてみたことがある
「なぜ、そんなに多くの仲間を作り、膨大なお金を動かせるのですか」
Kさんは言った
それを聞いたその当時はよく理解できなかった
イメージするのがそんなに大事なことなんて考えたこともなかった
しかし、今では腹の底の底から理解している
なぜならこの世界は意識がないと存在し得ないものだからだ
RPGゲームによくあるプレイヤーがそのマップに行くと
そこの世界が作り出されていくあのイメージだ
”想像力”=”創造力”
これがこの世界の真実
スピリチュアルに興味を持つと必ず出会う言葉がある
わたしが今見ている世界はすべてわたしが作り出している
自分の波動の状態(平たく言えば気分が良いか悪いか)によって
どういう映画のシーンが選べるかが決まる
そして、観たい映画のシーンをその中から自分で選ぶという仕組み
非常に単純でシンプル
そう、宇宙は案外シンプルにできている
現代社会の闇
現代人は簡単なことを難しく考えるのが好きになってしまっている
そのためなかなか宇宙の仕組みを受け入れられないのだろう
しかし、これは何も現代人がすべて悪いというわけではない
何千年と受け継がれてきた”無価値観”や”罪悪感”、”不安”、”恐れ”
といった地球特有の周波数(振動数)によって
思考と感性のバランス、つまり左脳と右脳のバランスが
完全に崩れてしまっているのだ
一瞬一瞬を味わう喜びを忘れてしまっている
これはなんとも悲しい
幼少期の頃をよく思い出してほしい
友達と遊んでいるその真っ最中に明日のことを考えていただろうか
わたしは幼稚園から中学校くらいまでは悩みがほとんどなかった
小さな悩みはたしかにあったかもしれないが
嫌なものは嫌、好きなものは好きと損得勘定抜きで
自分軸で自分視点でものごとを選んでいたため
今に意識を置くことができていた
しかし、高校生になってそれが難しくなる
そう、”自我”の芽生えだ
ここから人生が非常に苦しくなった
幼稚園から中学校までもストレスというものはたしかにあった
辛いこともたくさんあった
でも人生の充実感は常に感じることができていたし
休みの日も今その瞬間にあることができていた
やがて高校生になり
自分の容姿というものに初めて関心をもった
そこでわたしは非常にショックを受けることになる
「自分ってこんなに顔が不細工なのか。。」
これがわたしの記憶のなかで初めて
[”自我”が芽生えた瞬間]だった中学生までの人生でも
わたしが(本名)であることはもちろん知っていたが
学校などで名前を呼ばれても
どこか他人事ような感覚があったのだ
わたし自身を斜め上の視点から俯瞰して眺めているような感じだ
タイトルでは[”自我”が芽生える]
という言葉を用いたが正確には
[”自我”を通して見る世界]となるだろうか
この感覚が出てきてから”苦しみ”が生まれ
人生が急速に色を失っていった
常に自分がどう見られるかを意識するようになり
世間体や社会的に良いとされる生き方に
自分を無理やり押し込んでいくようになったのだ
次第にわたしの世界と視野は狭くなっていき
最終的には恐怖と苦しみに満ちた灰色の世界になった
感情というものを抑圧し続けた
過去にばかり執着するようになった
そして何をしても心が動かなくなった
死というものが最も魅力的な選択肢に思えた
わたしは鬱病になったのだ
自分を殺したいほど憎んだ
もうこの世界では生きていけない
部屋の端っこで怯えていた
「怖い、怖い、すべてが怖い」
わたしの世界は苦しみに満ちていた
そんな時に一筋の光が射す
スピリチュアル=精神世界の探求
”自己愛”の大切さを思い出す作業
例えるなら、北極から南極を目指すようなものだ
毎日一歩ずつ一歩ずつ前進した
いや時には後退しかしないこともあった
しかし少しずつ前には向かっていた
そして目の前の景色が一斉に開けた瞬間が訪れた
そう、”自我”の消失だ
正確には
その瞬間から世界が変わっていった
みんな一つなんだ
何も怖がることはない
わたしはあなた、あなたはわたし
One for all, All for one
涙が止まらなかった
胸の奥底から至福を感じた
”愛”に出会った瞬間だった
この感覚を信じていけば
間違いない
そう確信した
”わたし”は頭ではなく胸の奥にいる
今まで忘れていたことを
すべて思い出した
感謝が自然と沸き起こった
ただただその瞬間を味わう
それがなによりも尊い時間だった
この経験を地球のみんなに伝えたい
広めたい
そして”愛”を共鳴させたい
わたしはそのために
人生という尊い時間を使っていきたい
L.W. Kyohei